篠原信一の誤審をした主審判が悲劇的なその後とは?

篠原信一の誤審をした主審判が悲劇的なその後とは?

現在はタレントとして活動をしている、2000年のシドニーオリンピック柔道代表選手であった篠原信一さんですが、オリンピックの決勝戦では疑惑の誤審判定により金メダルを逃しています。

この誤審判定は後に、”世紀の大誤審”の一つとして数えられています。

この大誤審と言われる当時の主審判が、後に悲劇的なその後を迎えていると言います。今回は当時の状況と主審判のその後を調べてみました。

出典:https://mainichi.jp/graphs/20160121/hpj/00m/050/012000g/12

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篠原信一の決勝は誤審で金メダルだったのか?

まずはシドニー五輪で柔道100キロ級の状況をみてみましょう!

篠原信一、シドニー五輪での状況

こちらが疑惑の判定と言われた、当時の決勝の動画になります。

動画38秒くらいに、フランス人選手であるダビド・ドゥイエの内股を内股すかしで切り替えしています。私は柔道はかじった事しかないですが、篠原信一選手の内股すかしは相手の背中が畳に叩きつけられているし、一本であったとしてもおかしくないと思いますね。

 

しかし審判のジャッジですが、二人いる副審の一人が篠原信一選手が一本と旗をあげていましたが、もうひとりの副審と主審は右手を斜め下に指し、相手のダビド・ドゥイエ選手の有効ポイントとしたのです。

しかし下記の画像にははっきりと副審の一本というサインである右手をあげている姿を見ることができますね、ですが、もうひとりの副審と主審が有効をしているため、この副審のジャッジは無効とされ、ダビド・ドゥイエ選手の有効ポイントとなってしまいます。

もちろんコーチであった斎藤仁コーチは猛烈な講義をします。この動画には山下監督の声は入っていませんが、明らかに投げているから一本だという事を猛烈にアピールしています。

しかし審判は覆られずに篠原信一選手は動揺を隠しきれないまま、競技は続行しまダビド・ドゥイエ選手の有効ポイントが勝敗の決め手となり、ダビド・ドゥイエ選手は優勝し金メダルを取ることになるのです。

篠原信一選手の心境はどうだったのか?

実際に競技をしてい篠原信一選手は16年後の2016年に週刊現代の取材に対し、競技中心境を語っています。

あれから16年が経ちましたが、ドゥイエを投げたときの感触は、今もハッキリとこの手に残っています。

そして、下記ように、特にドゥイエ選手だけの対策はしていなかったが、ドゥイエ選手が内股や払い腰、大外刈りくらいの技を得意とする選手である事は研究済みであり、その技に反応は体に叩き込まれていたといいます。

つまり、今回のドゥイエ選手が仕掛けてきた内股に対しての内股すかしは篠原信一選手が元々狙っていた技だったのです。

特別な「ドゥイエ対策」はしていませんでしたが、彼が内股を得意とすることは国際試合を何度も見てよくわかっていた。技をかけられた場合の反応も体に叩き込まれていました。

練習してきた技が試合で出せて、それで技を相手に決める事ができるほど選手として嬉しい事はありません、ままして、それが決勝で決めてになったと思えばのこそです。篠原信一選手も10点満点中の7,8点くらいの完成度であったと話していました。

そして運良くか悪くか、内股すかしを決めた後に最初の見た副審のジャッジがまっすぐ手を上げて「一本」と示していたからこそ勝ったを確信したガッツポーズだったようです。

満点とは言わないけど、7〜8点くらいの完成度です。投げた直後は一本取った感触がありました。そして、目の前にいた副審を見ると、まっすぐ手を挙げて「一本」のジェスチャーをしている。思わずガッツポーズが出ました。

しかし、横を見ると有効という事になっており、おかしいと思いながらも実はこの有効ポイントは自分のポイントと思ってしまったと言います。 一本では無かったが、自分が少なくとも有効ポイントをとり、試合を有利に運んでいると思っていたのが、実は相手の有効だった事がわかれば、あれだけのキレイな内股すかしを決めて置きながら、「なぜ」という気持ちになり動揺するのは通常の人間なのです。

試合再開直後は、私も自分が有効を取ったと思っていました。でも、「待て」がかかった時に斉藤先生から「信一、取られてるぞ!」と声をかけられ、初めてドゥイエに有効がついていることを知ったんです。

そして、篠原信一選手が自分は弱かったから負けたのだという、競技中の心理が下記の言葉に集約されていると思いますね。

有効ポイントを取られているから、なんとかしなきゃという焦り、そして、内股すかしは一本だから、競技したら覆るから、勝てるだろうという思いです。 オリンピックでの柔道の試合は一日で何度もするため、前の試合が過酷であれば消耗して、次の試合に影響する事もあります。

それもあり、焦りと妥協で短い期間で気持ちを切り替えて戦うのが非常に難し心理状態だったことはわかります。

しかし篠原信一選手も言っているように、柔道は「心技体」が大切な競技です。そしてその一つである心をコントロールすることができなかった事が「弱いから負けた」という言葉につながった話していました。

このままでは負けるから攻めなきゃ、とは思うんですが、一方で「さっきのは自分の一本や。早よ協議してくれ」という思いがずっと頭にこびりついて離れない。準決勝で消耗していたこともあって、パニックに近い状態でした。

誤審であることを猛烈講義するも覆らず

試合後に監督であった山下監督も加わっての審判に対する猛抗議を行いますが、判定は結局覆りませんでした。しかし、日本選手団は国際柔道連盟に抗議文を提出します。そしてシドニー五輪後に国際柔道連盟は競技を行い、最終的に内股すかしをダビド・ドゥイエ選手の有効とした判定は誤審と認めました。

しかし残念ながら、主審、審判が試合場を離れた後には、判定を変更することができないというルールもあるため、ダビド・ドゥイエ選手の金メダル、そして篠原信一選手の銀メダルも確定となってしまうのです。

さらに、国際柔道連盟は主審に対して罰則を与えないという事を決定。

ダビド・ドゥイエ選手は日本のメディアにも取材を受けていますが、自分の勝利を主張し、頭から倒れないために自分から転がったと言っています。そして、「一本とした副審は間違っていたが、主審ともう一人の副審は正しい判断をした」と語っていました。

確かに、ダビド・ドゥイエ選手も、あの試合は実は負けてたと思ったけどラッキーで勝ったなど言えないでしょうから、彼の主張は間違っていないと思いますね。 

彼もまた柔道の「心、技、体」を猛烈に鍛え上げてきた一人の選手ですし、もしあの有効をラッキーと思って残りの試合をしていたら、負けていたと思いますから、ダビド・ドゥイエ選手の勝利は非難することには当たらないと思います。

オリンピック決勝での主審は誰で?悲劇的なその後

ではその、決勝で主審を努めていた人は誰なのかを調べて見ますと、ニュージーランド人であるクレイグ モナガン主審であることがわかりました。本職はニュージーランドのオークランドで教師をしている人でした。

シドニー五輪が終わり、ニュージーランドに帰国したグレイグモナガン氏ですが、国際柔道連盟が誤審であったと認めてから、彼の元には日本から猛烈な講義メールが殺到しました。

講義のメールは構わないと思うのですが、「お前を殺してやりたい」というような脅迫メールまで多く送られたというので、グレイグモナガン氏はノイローゼ気味になり、妻と一緒に国外へ脱出をしたという事になっています。ニュージーランドからどこの国へ脱出したのかなどは詳しく解りませんが、おそらく仕事もやめて逃げるように脱出したのでしょう。

確かに主審であるクレイグモナガン氏が誤審であった事は事実です、しかし、クレイグモナガン氏も一人の人間んですし、間違いも犯します。さらにもうひとりの副審も同じようにドゥイエ選手に有効ポイントをつけているのです。彼だけの責任ではありませんし、一本とジャッジした副審もドゥイエへに対する有効ポイントで講義もせず、すぐに自分の一本を撤回しています。ジャッジが別れたときは協議により決定するジャッジをあっさりと捨てたのです。

そのため、この誤審はクレイグモナガン氏の一人だけの間違いではないですし、それにより脅迫メールや誹謗中傷などを行うのは間違っていると思います。

一部の人には誤審をしたことを説明して、正式に謝罪しろという声もありますが、国際柔道連盟では審判が試合の判定について詳細などをメディアなど公の場所で説明することを禁止しているため、クレイグモナガン氏も話すことはできないのです。

まとめ

タレントして活躍する篠原信一さんですが、シドニーオリンピックで誤審により辛い思いをした柔道選手として有名ですよね。

今回はその詳細について説明し、16年後に篠原信一選手が語った競技中の心理状態や、「弱いから負けた」という真相について説明しました。

そして、後に国際柔道連盟により誤審と認められたジャッジをした主審であったクレイグモナガン氏がシドニー五輪後、誤審と認めらた後の悲劇的なその後を紹介しました。

篠原信一さんを始めオリンピックに選ばれるような選手は、普通の人が想像ができないような過酷な4年間を過ごしてきます、そのつらい日々を過ごしてきた結果が誤審で金メダルを逃した思いは一生ついてまわるでしょうし、苦悩で悪夢であると思います。

しかし、納得はできないでしょうが、自分は「弱いから負けた」と認めた事は歴史に残る偉大な柔道家であり、偉大な人間だと思います。同じ苦悩を味わった人でないと決してわかり得ない事だと思いますね。

そのため、軽々しい事は言えませんが、そんな篠原信一という柔道家は多くの人の記憶の残っていると思いますね。

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