千代の富士の八百長疑惑の証拠とは?子供が突然死の衝撃!!

千代の富士の八百長疑惑の証拠とは?子供が突然死の衝撃!!

千代の富士は相撲ファンでなくとも多くの人が知る大横綱であり、スポーツマンシップにあふれた人物。

国民栄誉賞を受賞し、ウルフと呼ばれて多くの力士にはあまりにも強い力のため恐れられていたといいます。

そして、関取には珍しい筋骨隆々の小兵力士でありました。その小兵な体格でありながらも、多くの巨漢力士を鍛えられた力と多彩な技をもって倒し、大横綱となられ伝説を残しています。

その伝説の大横綱であった千代の富士関には八百長疑惑が付きまとっています。 そのおどろきの疑惑は本当なのでしょうか? そしてその証拠はあるのかを調べてみました。

実は千代の富士関には4人目の子供がおられましたが、生後4か月で突然死、その衝撃の原因はなんだったのでしょうか? その悲しみを乗り越え優勝を飾った千代の富士関をこれから紹介していきます。

スポンサーリンク

八百長疑惑の証拠

多くのファンをいまだに持つ千代の富士関、その昭和の大横綱であった千代の富士関が実は八百長を行っていたという疑惑があります。

リアルタイムで千代の富士関の取り組みを見ていたわけではありませんが、関取の中でも太っているのではなく、あの筋骨隆々の体で多くの相手を投げ倒したり、強烈な張り手で押し出したりする映像は衝撃的でした。あの取り組みの映像などを見て、相撲は体の大きさではないということを思わされた記憶があります。

しかし、その千代の富士関が倒してきた取り組みは八百長であり、その八百長によって横綱という地位を手に入れたのでしょうか?

相撲界、八百長の歴史

実は相撲界には八百長があることは事実のようであり、八百長という言葉も実は相撲用語であります。 

言葉の起源は恐らく明治時代と言われています。当時、八百屋の店主の名前が長兵衛(ちょうべえ)といい、その長兵衛が回りから八百長と呼ばれていました。

その長兵衛はご機嫌とりのために、大相撲の年寄である伊勢の海五太夫と囲碁をよく打ってたのですが、八百屋の野菜などの商品を買ってもらうためにわざと負けていたというのです。そこから始まり真剣に争っているように見せて、事前に打ち合わせ通りに勝敗をつける事を八百長というようになったというのが語源です。

相撲界にはその後に広まり、大相撲では八百長のない真剣勝負をガチンコ、事前に決まった勝負を八百長、又は別の言葉で注射とよばれるようになりました。

現代の大相撲にも八百長はあるのか?

では、現在の大相撲に八百長があるのか? と聞かれますとあるというのが真相のようです。 

相撲は国技でありますから、八百長なんてあってほしくはないと思います。まして伝説のウルフである大横綱、千代の富士関が八百長をしていたなんて絶対に信じたくはありません。 

しかし残念ながら八百長の記録はあります。決定的な証拠はありませんが、千代の富士も八百長をやっていたそうです。

なぜ八百長はリークされたのか?

八百長は実際にあるようなのですが、昔は暗黙の了解で誰も話題にする事はなかったようなのです。やがて相撲は国技になり、力士たちが引退後に雑誌などのメディアに八百長の事実をリークするようになりました。

その後、引退した力士がある週刊誌にリークした記事の中で「千代の富士は、ガチンコでいっても勝てる相手からも勝ち星を買って、無理をしないことで、相撲人生を長くするつもりだった。」と告白されています。

もちろん、この一つの記事だけでなく、多くの力士の暴露により、当時の千代の富士関の連戦連勝は八百長であった可能性が高いと言われていました。

結局、千代の富士関はこの八百長について亡くなるまで口を開く事はありませんでしたが、否定も肯定もされなかったことが、事実であったのではないかと思います。

千代の富士関の強さは嘘?

千代の富士関が八百長をやって、勝ち星を買っていたというのはかなり濃厚になり、もしろんすべての取り組みでないにしろ、八百長はあった可能性は高いです。では、あの筋骨たくましい体は、たんなる見世物の体であり単に、プロレスのようなショーであったのでしょうか?

実際に千代の富士関の取り組みを見ても、とても八百長とは思えないくらいの強さなのです。  

下記の動画は八百長であったのかガチンコであったのかはわかりませんが、寺尾関との取り組みで最初は張り手の応酬になっていますが、その後、千代の富士関は寺尾関を後ろから持ち上げ土俵に叩きつける事によって勝負をつけています。 まさに横綱の貫禄を見せつけた大勝負であったと思います。

千代の富士関の名勝負 Youtube

この取り組みが八百長であったとしても、なかったとしても千代の富士関の強さは本物であったのだろうと信じます。  

事実、千代の富士関の弟弟子であった現八角理事長である北勝海関は現役時代に千代の富士関が怖くて仕方なかった、ガチンコでとてもかなう相手ではなく、千代の富士関が一番強かったと認めています。

八百長疑惑の結論

結論として、八百長の証拠は見つけることはできませんでしたが、八百長があった可能性は多くのリークやはっきり否定しないことから非常に高いと思います。 しかし大相撲を盛り上げるエンターテイメント性としての取り組みがいくつかあっただけで、ほとんどはガチンコでの取り組みが本当であり、すべてが八百長でありショーであることは間違いです。

千代の富士関にも八百長はいくつかあったのかもしれませんが、北の湖関、輪島関、若乃花関などの名横綱に何度も土俵の土をつけられながらも、取り組みの度に体を鍛え上げて改造し、最終的に勝利を収めた千代の富士関の名勝負の感動は八百長ではぜったいに味わえない名勝負であるからです。

千代の富士の悲しみ

3人以外の子供が

千代の富士関である秋元貢さんには3人の子供がおられます。 

  • 長男、秋元剛 (あきもと つよし)さん
  • 長女 秋元優 (あきもと ゆう)さん
  • 次女 秋元梢 (あきもと こずえ)さん

3人のお子さんはもう皆さん成人され、それぞれ独立されていますが、実はこの3人の子供の他にもう一人子供がいました。

それが三女の秋元愛(あきもと あい)さんです。

その愛さんは生まれてまだ4か月に突然死されてしまいました。千代の富士関は悲しみのため、数珠を付けての土俵入りをされていました。

その三女である娘さんの突然死の原因は何だったのでしょうか? 

突然死の悲しみを力に

突然死の原因としてはSIDS(Sudden infant death syndrome でシズと読みます)と言われ日本語で乳幼児突然死症候群という病気です。

その、SIDSの原因はどのようなものなのでしょうか? 長年研究が続けられていますが、残念ながらはっきりした原因はまだ解明されていようです。

予防の対策としては、仰向けに寝かせることを推奨することにより減少したという結果から、なるべく赤ちゃんをうつ伏せに寝かせないようにするのがよいと言われています。

当時の千代の富士関の落ち込みようは、もう相撲は取れないのではないかというほどでありましたが、翌場所では首に数珠を付けて場所入りし、見事に優勝を飾り愛さんに捧げました。

多くの勝利と感動を多くの人に届けていた、千代の富士関にもそのような悲しい事実があったのですね

まとめ

  • 八百長とは元もと相撲と関係がある言葉でした。
  • 相撲界の八百長はあるというのは証拠は見つけられませんでしたが、事実のようです。
  • 多くの引退力士により、八百長がリークされ明るみになっています。
  • 千代の富士関にも八百長疑惑はありますが、強さは本物でした。
  • 取り組みの全部が八百長ではなく、ほんの一部であり、ほとんどはガチンコの取り組みです。
  • 千代の富士関の子供の3女は、SIDSより突然死でした。
  • 千代の富士関は悲しを乗り越え、翌場所で見事優勝を飾りました。

もっとも偉大で、顔も力士になるために生まれてきたような、精悍な顔つきである千代の富士関。八百長疑惑では名前がつねに疑惑の一人にあげられていました。 結局、引退力士などのリークから行われていた可能性は非常に高いのですが、確定した証拠はみつけられませんでした。

しかしあの強さは本物で多くの同期力士からは最も強い力士であったと言われていました。

そして、3女の娘さんの突然死を乗り越えての優勝と、多くの伝説を残した千代の富士関は61歳という若さで亡くなりましたが、多くの名勝負を残し、相撲ファンではない人にも感動を残してくれました。 

その偉業は相撲界だけにとどまらず、これからも伝説となって続いていくでしょう!

スポンサーリンク

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。