屋良朝博(やらともひろ)は何者?プロフィールや経歴を紹介!

屋良朝博(やらともひろ)は何者?プロフィールや経歴を紹介!

ジャーナリストであり、立憲民主党の衆議院議員でもある屋良朝博さんが、衆議院予算委員会での質疑応答にたった事で大きな話題になっています。

予算委員会で屋良朝博さんが質疑した事に関しては賛否両論あるのですが、今回は質疑に関する議論はおいておいて、屋良朝博議員が何者なのか? プロフィールや経歴を紹介したいと思います。

それでは一緒に見ていきましょう。

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屋良朝博は何者?

まずは屋良朝博議員のプロフィールから簡単に紹介していきたいと思います。

屋良朝博のプロフィール

  • 名前:屋良朝博(やらともひろ)
  • 生誕:1962年8月
  • 出身:沖縄県
  • 職業:ジャーナリスト、衆議院議員
  • 大学:フィリピン大学経済学部

屋良朝博議員は、沖縄県生まれですが1962年当時、沖縄はまだアメリカから日本に返却はされておらず、1972年に日本に返却されるまでは、琉球政府というように呼ばれていました。

屋良朝博議員は、そんな沖縄がアメリカ統治時代に米軍基地の近くで生まれ、地元の高校を卒業後にフィリピン大学へ留学します。日本人でフィリピン大学に入学し、卒業した人は少ないと思いますが、フィリピン大学は国立大学の最高学府であり、日本でいう東京大学のような大学なので、入学は簡単ではないと思いますね。

事実、フィリピン大学の卒業生は多くのフィリピン大統領を排出しています。

フィリピン大学卒業後のキャリア

下記がフィリピン大学の現在のキャンパスのようです。この手を広げた銅像が有名なようで、色々な人がこの銅像の前で同じように手を広げて写真を撮っている人がいました。

フィリピン大学では経済学部に属しますが、在学中にピープルパワー革命という当時の大統領で独裁者であたマルコスをクーデーターで失墜させ、暗殺されたベニグノ・アキノさんの妻であるコラソン・アキノが大統領就任し、政権を樹立に至るまでの革命でした。

フィリピンの有名な革命ですが、屋良朝博議員はリアルタイムで現地で見たことにより、ジャーナリストを目指すようになります。

その後ジャーナリストとして活躍しますが、2018年に当時の沖縄県知事であった翁長雄志知事が死去した後、当時衆議院議員であった、玉城デニー氏が沖縄県知事に立候補したため、その地盤を屋良朝博議員が引き継ぎ衆議院議員になり現在は立憲民主党所属の衆議院議員と活躍しています。

まとめ

衆議院議員の予算委員会で屋良朝博議員が質疑したことに関して大きな話題になっています。

今回はジャーナリストでもある屋良朝博議員が何者なのか、大学などのプロイフィールや経歴を調べて紹介しました。

大学はフィリピン大学の経済学部を卒業し、当時独裁政権であったマルコス大統領をクーデーターで失墜させ、アキノ政権樹立に至るまでのピープルパワー革命を現地フィリピンでリアルタイムで目の辺りにしてジャーナリズムに興味を持ちジャーナリストなります。

その後は現沖縄県知事である玉城デニーさんの地盤の地盤で衆議院議員に当選しています。

今回は沖縄県の立憲民主党所属の屋良朝博議員について紹介しました。最期まで読んでくださりありがとうございます。

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