(現在)立川らく朝が死去、死因やプロフィール、経歴など

(現在)立川らく朝が死去、死因やプロフィール、経歴など

落語家でありながら、医者としての顔を持つ立川らく朝さんが今月5月2日に死去していた事がニュースで報道され大きな話題になっています。

今回は立川らく朝さんの現在、死因など、またプロフィールや経歴なども紹介していきますね。

それでは一緒に見ていきましょう。

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立川らく朝の死因は何だった?

まず最初は立川らく朝さんのプロフィールや経歴から紹介していきますね。

立川らく朝のプロフィール

  • 名前:立川らく朝(たちかわ らくちょう) 本名:福沢恒利(ふくざわ つねとし)
  • 生誕:1954年1月26日 67歳
  • 出身:長野県飯田市
  • 職業:落語家、内科医師(医学博士)

立川らく朝さんは医学博士の資格を持ちながら、内科医師としても活動する異色の経歴をもつ落語家です。出身は長野県ですが、高校は成蹊高等学校を卒業し杏林大学の医学部を卒業後に慶應義塾大学内科学教室に入局しています。 そして慶応健康相談センター(人間ドック)の医長を務めるまで出世しています。

趣味で学生時代から落語研究会に属し、医師として活動の傍ら、OB会で落語とか変わって来ましたが、44歳のときに意を決して立川志らくさんの客分弟子になり、2年後にはプロの落語家として立川志らくさんに正式に入門。 

医師と落語家という2足のわらじを履き続けながらも、やはり勉強熱心なのか、入門してから15年後には真打ちに昇進していますから、まさに好きこそモノの上手なれですね。

立川らく朝の現在は?

立川らく朝さんは、死去するギリギリまで落語家として活動をしていました。医師の経歴を生かした健康教育と落語をミックスしたヘルシートークや健康落語という立川らく朝さんならではの、落語のジャンルを開拓し、全国を公演などで飛び回る日々だったようです。

医者を引退し、これからは落語家一本で活躍できると思っていた矢先に死去したようで、本当に残念でなりません。

立川らく朝の死因は何だった?

今回、死去した立川らく朝さんの死因は公式には発表されていませんが、どうやら今年2021年2月より病気で療養していたということです。

恐らく、その病気が原因で死去したのだと思いますね。医師であり健康教育を落語で語っていた立川らく朝さんですが、それでもやはり病気には勝てませんでした。

師匠である立川志らくさんは、年齢が上だといっても師匠よりも先に逝くやつがあるかと言っていますが、かなり寂しい思いをで残念でならない思いが滲み出ていましたね。

年下でありながら40代半ばで弟子にした立川らく朝さんには特別な思いがあったのかもしれません。

まとめ

医学博士の内科医師でありながら、落語家であった立川らく朝さんが死去した事がニュースで報道され大きな話題になっています。

今回は立川らく朝さんの現在や死因、またプロフィールや経歴について紹介しました。

40代半ばで医者として活動し、大学病院のセンター医長まで上りつめた地位も名誉もある立川らく朝さんが、年齢は関係なくゼロから始める厳しい落語の世界に飛び込み真打ちまでのし上がったのは本当にすごいし感動しますね。

年下の師匠や兄弟子達に怒鳴られたり、怒られた事もあったでしょう、しかし大学病院での医長であっても落語の世界では素人だった事をわきまえ必死に努力されたのだと思います。

勉強をするのに年齢は関係ないと改めて思い知らされますね。立川らく朝さんが師匠の立川志らくさんに弟子入り入門したのは46歳の時です。 今の私の年齢と同じくらいの年齢でありながら、新しい事を始め努力できる事は見習うべきことだと思います。

立川らく朝さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

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